僕らのこと
- Tatsuya Fukuchi
- 8月11日
- 読了時間: 4分
更新日:8月26日
7月の後半から体調を崩し、
二人で二週間ほど寝込んでいました。
ようやく回復してきたところです。
今年の夏風邪は、ちょっとたちが悪いみたい。
ブログも少し間が空いてしまいました。
2025年8月11日。
今日は、くるみの4回目の月命日です。
今日は、「僕らの話」をしようと思います。
以前、FRENCHBULLDG LIFEの取材でも話しましたが、僕は一度離婚を経験しています。だから、くるみの家族構成は少しだけ複雑です。
くるみにはママが二人います。
16年前に僕と一緒にくるみを迎えた Atsuママ。そして、13歳からの3年間を過ごした Renaママ。
どちらも、くるみにとって大切なファミリーです。

25歳のとき、僕はくるみを迎え入れました。けれど30歳を過ぎたころから、自分の弱さや未熟さのせいで、家族に悲しい思いをさせてしまいました。
35歳のときにAtsuママと別れ、
僕とくるみの二人暮らしが始まります。
別れるとき僕らは、こう約束しました。
「一緒に迎えたのだから、
最後までくるみに関わろう」
基本的にくるみは僕の家でふたり暮らし。Atsuママは近所に住んでいて、ときどき泊まりに行く。そんな生活が続きました。
3年前、くるみに穏やかな老後を過ごしてもらおうと、僕は大阪市内にマンションを購入し引っ越しました。それからは、Atsuママが僕らのうちに来て、くるみのお世話をしてくれるようになりました。
この、ちょっと変わった関係については、
周囲からいろいろな意見もありました。
「離婚しているのにおかしい」とか。
とくにAtsuママは悩むことも多かったと思います。連絡が途絶え、数か月会わない時期もありました。
僕自身もずいぶん思い悩みました。
くるみに関わり続けてもらうことで、Atsuママの人生の邪魔をしているのではないか。
でも僕は、こう思っていました。
「ペットは家族」「我が子だ」と言うのなら、本当に子どもと同じように扱うのが自然だ、と。
離婚しても子どもが成人するまでは、親が協力して一緒に育てるのが当たり前。「もう会わない」「世話をしない」ほうが、むしろ不自然で無責任だと思ったのです。
だから僕らは、最後まで一緒に面倒を見る道を選びました。
(いろいろな事情や考えの方がいるので、他の方の判断を批評する気はまったくありません)
その後、月日が流れ、僕にはRenaママが、AtsuママにはMさんというパートナーができました。
ふたりとも、くるみを深く深く愛してくれて、この関係は最後まで続きました。これはみんなの理解と広い心があってこそ。本当にすごいことだと思います。
2023年11月、くるみの介護期が始まりました。
普段は僕とRenaママがくるみを世話し、週に1〜2回はAtsuママとMさんが来てくれる。そんな日々です。
くるみがまだ元気なうちは散歩に出かけ、誕生日には写真を撮り、たくさんの思い出を作りました。
認知症が進んで昼夜の介護が大変になってきて、僕とRenaママは心身疲弊してきましたが、AtsuママとMさんが交代で看てくれる時間で心身をリフレッシュさせることができました。

そして、あの日。
くるみが天に召された日。
僕はすぐにAtsuママに連絡しました。
僕ら4人はくるみを囲み、
それぞれの立場から精いっぱい愛を注ぎました。
大人たちが、自分の感情を少し横に置いて、
ひとりの家族を見送ったのです。
くるみの持つ強い磁力が、
少しずつみんなの気持ちを変えていきました。
最初は僕のわがままから始まったこの関係。くるみを愛してやまない人が、2人から4人に増えました。
安定した家庭を与えてあげることができなかったくるみの人生が、最終的にとても豊かになったと思います。
手厚い介護ができたのも、長生きしてくれたくるみと、3人のおかげ。僕ひとりでは絶対にできなかったことです。
くるみの火葬を終え、家に帰ったあと、
僕は3人に頭を下げました。
「本当にありがとうございました」
僕
Renaママ(僕のパートナー)
Atsuママ(僕の前妻)
Mさん(Atsuママのパートナー)
僕らがKurumi’s Familyです。

僕らの共通点は、ただひとつ。
“We LOVE KURUMI”=「くるみを愛してやまないこと」
これまでも、これからも。

素敵です…